ども!
骨盤が捻れてるから上半身も捻れている、その対策ヨガを始めた途端、身体から悪いものが吹き出し続けてるyuです。
日々成長!
夫婦で世界一周旅。2015年10月から、テント担いで流れに身を任せ、世界をゆっくり巡って何かを体感しています。
2017.9.27.
この旅でまさかパリを飛ばすとは正直思ってなかったyuです。どんな旅に導かれるかは自分次第!
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By yu
1月26日はオーストラリア・デー!国民の祝日!
ググってみると、花火やら野外バーやらナイトシネマやらたらふく出てくる盛大そうなイベント。と同時に、なんだか気になる情報も。
オーストラリア・デーに制定されている今日は、イギリスからの独立記念日とかではなく、一番最初にイギリス人がオーストラリアに上陸した日、なんだってさ。つまりは、白人による侵略が始まった日。
“invasion day”
“it’s joke”
ちょっとだけ昔の話。
アボリジニのお話。
今から230年くらい前に白人が初めてオーストラリアに上陸。そこに4~5万年前から住んでいたアボリジニたちは、白人が持ってきた病気で亡くなったり、トレジャーハンティングだっていって遊び半分で命を奪われたりして激減、人として扱われなかった。1900年台前半になっても、アボリジニの社会への影響を薄めようと試行錯誤がされてて「お前たちは子供をちゃんと育てられないだろうから、子供は白人が育てるよ」って言われて親子が引き離されたりしてた。そして2008年に「今まですんませんでした」って大統領がざっくりと謝罪して、今は国から生活すべてを賄える助成金をもらって暮らしてる。
助成金をもらってるって言ったら聞こえは良いけど、結局は社会に参加できないまま、けど生きていけるお金はあるって状態だから、要は社会全体から見て見ぬ振りされてる。何より、金で解決する話かっていう。
ちなみに、”アボリジニ”は差別用語で、こっちでは”アボリジナルピーポー”って言う。
ネットだけでは信じられないタチなのでロバートに聞いてみたら
“Yeah! It’s invasion day! hahaha-!!”
ってあっけらかんと笑 ”そんなこと言うか・・・”っていう絶妙な顔をしていたのがバレたのか、
“けどこの話は相当難しいよ。フレマントルはこの日を祝うのを止めたくらいだし。”と。
仙台と長町
新宿と渋谷
横浜とみなとみらい
烏帽子と澄川
このくらいの距離感で、国の名前がついた祝日を祝うかどうかが違うって。英断をしたフレマントルによると、多様性だからこそのオーストラリアなのでということで、複雑な背景があるこの日のお祝いはしなくしたらしい。
ちょっとだけ脱線。
ハラールスナックパックのお話。
去年、”Halal Snack Pack”っていうケバブ肉をふんだんに使った食べ物がオーストラリアで人気を博してた。ある州の議会の昼飯にみんなでそれを食べようよって話になった時に、一人の議員さんが大反対。理由は『ハラールを食べるなんて、ムスリムコミュニティに投資していることになるから嫌』『私だけじゃなくて、98%のオーストラリアンがきっとそう言うわ』とのこと。これでさらに話題になったHSP、オーストラリア各地でバカ売れし、Word of 2016入り。
「こんな美味いの初めて食べたし、誰も人種とか宗教なんて気にしてないでしょ」って、辞書にHSPを入れなきゃいけなくなった辞書編者(白人)が初めて食べた感想を爽やかに語ってた。
“意外と人種差別とか白人主義がある国だ”
“白人の国だ”
ってネットにはよく書かれているオーストラリア。半年だけパースに住んでみて、たまにそれを感じる瞬間に出会ったりはするけれども、そんな国ではないと俺は思ってる。差別とか区別とかをしたがる人の割合は、日本よりは少ないんではないかと。政治的に見たら、移民の人たちって選挙権ないじゃんって話ももちろんあるんだけどさ。
で、そんなオーストラリア・デーを実際みんながどんな風なのか興味があったから祝う方のシティに出かけることに。
シティのすぐ近くの川沿いの公園にいつもの30倍くらいの人が集まって、皆なんだか楽しそうにのんびりしてた。テント張ったり、シート敷いたりして。白人も黒人も黄色人種もいて、英語もフランス語も中国語も韓国語も日本語もアボリジニ語も、あとはきっとアフリカ系の言語も聞こえた。たまーにだけど、アボリジニの旗の描いてあるTシャツ着てる人もいた。やっぱり、そんなに白人主義の国じゃないと思うんだよね、オーストラリア。
なんかホッとして、お祝いの花火待ち。
しかし、待てど暮らせど上がらなかった花火。
“ハングドラムにじっと聞き入る青年”
キタさんにタジキスタンで教えてもらったカメラ知識を思い出しながら、露出をいじってみたりシャッタースピードをいじってみたりして遊びながら時間をひたすら待つ。
結果、予定時間を1時間過ぎても花火見られず。
きっと俺らが座ってたところが悪くって見えなかっただけなんだろうな〜って、帰って花火の打ち上げ動画を調べてみたら、なんとこの日を祝うためにパフォーマンス飛行をしていたセスナが墜ちちゃって、花火中止になっちゃったみたい。
“毎回満席で回り続けるメリーゴーラウンド”
花火が中止になったのは、祝い始めて以来初だったんだってさ。結果、オーストラリア・デーはなんとも複雑な日になってしまいましたとさ。
今回はちょっと長かったねって思ったらクリックしてねϵ( ‘Θ’ )϶
2015.12.20.
2015年12月17-18日で陸路移動をして来たのでその情報を記載します!
かかったお金 | 3,431円 |
かかった時間 | 24h |
※パアンを経由したのは、ミャワディからヤンゴン直のバスが朝9時からしかなかったので。
1、バンコクからメーソットまでスリーピングバス
999社 2ndクラスのSleeping bus | 297THB |
19:15 | 定刻通りバスターミナル発車 |
23:55 | レストランと商店併設のところで30分ほど休憩 |
04:20 | メーソットバスステーションに到着 |
※休憩の他にも、バスステーションで停まるのでトイレは行ける。
バンコク出発地はお馴染みのモーチット北バスステーション!
当日の昼くらいに安定の999社窓口に行って2等を買ったんだけど、既に19:15発の7割方埋まっててびっくり。乗ったときにわかりましたが何かしらの団体さんの予約が入っていたようでした。
夜まで暇だったので、でかい荷物をバスステーションに預けて(50THB)wifiも求めつつJJモールなる徒歩15分ほどのところに。
ここは市場的なお店が綺麗に並んでいて価格も安い地元民向けのモールで、なかなか侮れません。一通り眺めて十徳的な機能付きのカラビナ(35THB 約100円)を購入できたものの、wifi環境がなく諦めて外に出ると隣にwifi付きのcafe(↑)を発見!価格も雰囲気も良し。
北バスターミナル近くで珈琲飲むならここですね。
お坊さんが4人珈琲飲みに入って来たんだけど、ありなんだっけ?
安定の999。
メーソットまでのバスは定刻通りに出てブランケットもある。999社は、バスターミナルの3階にあるので要チェック。価格も安いので選ばない理由がない!今回は初めて一階席になったけど、やっぱり二階の一番前がベストだと思う。荷物も置けるし、眺めもいいし、居心地が良い。
↑夜明け前に着いた国境の町。
国境までどーやって行こうかな〜と考えながらinformationが開いていたので距離を尋ねると、「3キロだし歩いて楽々いけるぜ!」と超笑顔で言っているし、イミグレが開くまで1時間あるし、節約にも運動にもなるので歩いて行くことに。
2、国境を歩いて越える
徒歩 | No fee |
04:30 | 国境まで歩き始める |
05:20 | イミグレに到着 |
05:30 | イミグレが開く時間 |
05:40 | 出国・徒歩越境・入国、移動の交渉 |
06:30 | 車に乗り込む(ミャンマー時刻だと0600) |
歩いてれば後ろからだんだんと夜が明け始めてさぞロマンチックなんだろうなぁと思い描いていたものの結局日は昇らず。
街頭薄暗い中の野犬と警官の集団はなかなかの迫力でしたが、計30kgくらいの重さになるであろうバッグを担いだまま世界共通言語の笑顔を振り撒き、歩き続けること1時間ほどでイミグレに。
楽々の基準は国それぞれ。
既に出国待ちの人だかり。
周りの家の人らもみんな起きて旅人相手に商売しているAM6時頃、おもむろにイミグレが開き始める。何とも緩〜い出国審査を終えて、徒歩で国境にかかる橋を渡る。そして辿り着く、さらに緩〜い入国審査。最後の最後にスタンプを押されるまで本当にここがそうなのか疑わしいくらい緩かった。
なんだかんだとやっている隙に、気付けばいつも隣にいた上下真っ赤なジャージにニットキャップの何かの漫画で見たことのあるような笑顔が顔に張り付いている男。
朝9時まで待たないとヤンゴンまで直のバスは動かないということで、パアン経由ヤンゴン行きの交渉を直のバスと同じ価格までまとめ、フランス人3人と日本人1人でバンに乗り込みました。
3、ミャワディからヤンゴン パアン経由
乗合バン,バス,タクシー | 540THB+5USD |
※ここからミャンマー時刻 | 06:15 | ミニバンが出発 |
09:05 | パアンのバスステーションに到着 |
10:00 | 手配してもらったバスに乗り換え出発 |
12:00 | 小休憩 タトン? |
13:30 | レストランで30分ほどランチタイム |
17:45 | ヤンゴンのバスターミナルに到着 |
18:00 | タクシー交渉し、乗車 | 19:30 | 宿に到着 |
※タクシー5USD(4人で20USD)はすごく高かったです。
いやいやバンて…と一瞬みんなひるみながら乗り込んだこのトヨタ車で、噂のジャンピングロードをひた走る。
うねうね且未舗装、道の凹凸の反動でシートから腰が浮き天井に頭をぶつけ続けて3時間ほど、大型バスへ乗り換えるパアンへ到着。最初曼荼羅で始まったBGMは、なぜか次第にAKBと湘南乃風に。親日国を改めて実感できた遠足気分の移動。
ここで次のバスへ乗り換える45分ほどを過ごすことに。
なんもないから暇なんだろうなぁなんて思っていたら、なんだか朝っぱらから爆音で踊り狂っている家があるではないですか。参加できないかなぁなんて思いつつ近寄って行って聞いてみれば、2歳児の誕生日パーティーらしい。
え?参加していいの?ほんと??
むっちゃ楽しかったしむっちゃ汗かいた。
水もビールもケーキも頂いてしまいながら一緒に楽しく踊った後に、軽い朝食を済ませて日本製の大型バスに乗り込みヤンゴンへ。
ここからの道は舗装済みだし基本平坦!
むっちゃ過ごしやすいなぁ〜景色も気持ち良いなぁ〜これがインドネシアの運転手だったら荒い運転でむっちゃとばして半分の時間で着きそうだなぁ〜なんて思ってた矢先、隣の席に座っていたおばちゃんが嘔吐。袋、間に合わず。
こっちの人たちが車酔いに弱いって本当なんですね。本読んでても全然大丈夫な安全運転だったのに。
夕陽が沈みだんだんと夜に変わっていく頃に、市街地から遠く離れたターミナルにバスはたどり着きました。
陸路移動のいつものパターンなので、みんなで交渉したタクシーをシェアして移動。最終的に宿の前でタクシーの運転手と金額でひとしきりもめてから、宿に到着して無事に嫁と再会できました。
この落ち合ったミャンマーが、想像していた以上に刺激的な国の予感。移民が多く来ていながら鎖国状態にあった時代もあったための独特な雰囲気、思う存分味わっていきます!