2017.8.7.
旅する→調べる→消化する→ブログ書く、の流れが滞ってて消化不良を起こしているyuです。旅&ブログ、頑張ります。
ボランティアしながらの滞在だったけど、すっかり好きになってしまった”ニューベルリン”とも称されるベオグラード。
苦手な大都市だ〜って言ってた通りの大都市だったんだけど、見た目とは違って、流れてる空気感はそんなに都会感がないんだよね。
全世界チェーン店たちもどことなく主張が薄かったり、でかい通りもバスカーで溢れてたり、ちょっと路地行くとローカルな店がすぐあったり、規模のでかいローカルマーケットも結構あったり、やっぱり路面電車は走ってたり。
計画されてはないんだろうこの心地よいカオス感、いい。
歴史の諸々があり、90年代にセルビア人至上主義に偏っちゃった時期があった結果、1999年にNATOによる78日間の空爆を経験しているこの街。
そこからの復興というか発展って考えると、今ここにこんなピースフルで心地良い空気が流れていたのは不思議。
ちょっと遡って、オスマン帝国からの独立(1830)直後〜第一次大戦(1914)前くらいのとき。国が若者をヨーロッパに留学させることを決めたこともあって、その頃には既にセルビアは経済も文化も芸術も発展していったんだって。
100年くらい前から、この素敵な街が出来上がる下地はあったんだね。
そんだけ惚れ込んじゃった一方で、
・難民・ジプシーがたくさんいる
・セルビア人至上主義を抱いてる人が多い
・周辺国や資本主義諸国を憎んでる人も多い
・他民族を受け入れない人が多い
っていう微妙な側面も見え隠れ。
「俺は生まれてこのかたずっとベオグラードにいるだけなのに、スロベニアもクロアチアもボスニアもモンテネグロもコソボもみんなセルビアから独立してった。そんで、世界から狂ったような空爆も受けた。」
だいたい同い年だったゲストハウスオーナーの言葉。
彼の発言と表情の節々から「俺らは被害者なんだ」っていうニュアンスが伝わってきた。
ちょっと考えてみる、俺がもしベオグラードに生まれてた場合。
1986年 0歳
民族対立・内戦が盛んなユーゴスラビアで生を授かる。
1991年 5歳
内戦の末、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立してゆく。民族間の対立が激しさを増す。
1998年 12歳
セルビア人至上主義の中、セルビアがコソボに軍事介入。
1999年 13歳
コソボの報復で、ベオグラードがNATOによって空爆される。
2003年 17歳
モンテネグロ人の反発から、国号がセルビアモンテネグロに。
2006年 20歳
モンテネグロが独立、国号がセルビアになる。
2008年 22歳
コソボが独立宣言、世界が承認し始める。
俺がこうゆう境遇で生きていたら、今世界をどんな風に見てるんだろ?
世界から一目置かれてたチトー主義を捨て去って、いつまでも自民族の利益や尊厳ばっかり主張しているのは違うなぁとも思う気もするんだけどなぁ。
けど、俺も彼と同じように生きてきていたら、今こうしてこんなことを言えている自信は。。。
すげー好きな雰囲気の街に生きてる同い年のやつと喋ってみても、そいつの背景を知らないと、ちゃんと深いところまで会話できないんだなって実感。
というか、背景知っててもうまいこと彼とは折り合えなかったんだけど。。
アルバニア人しかり、マケドニア人しかり、セルビア人しかり、このバルカン半島っていう地域はほんと難しいね。
ここの人たちだけならまだしも、周りの国もちゃちゃ入れて来るから更にややこしいんだけどね。
人種とか主義とか民族とか宗教とか、そんなこと全部飛び越えてみんなで仲良くしようぜって説得力を持って言える、チトーみたいな素敵なおっさんにこの旅を通して俺もなりたい。
スゲーーーー長くなったけど、
ベオグラード好きだ!また来たい!!
って話でした。
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