こーゆーことが二度と起こらないことを祈って。

どーも!最近また髪を切りたくなって来たmanaです。海外で散髪、勇気がいります。

さて今日は少し長いブログですが、自分の感じたこと、知ったこと、考えたことを書いたので最後まで読んでいただければ幸いです。途中動画もあるのでぜひ見てください。

ブログはボスニアヘルツェゴビナの【サラエボ】

第一次世界大戦の引き金となった場所でもあり。

世界一周 ヨーロッパ ボスニアヘルツェゴビナ サラエボ 観光

この橋のたもとでオーストリア皇太子が殺され、世界大戦へ。

ボスニア内戦が激しかった場所でもある。

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紛争博物館。


実際に訪れてみると、第一次大戦の引き金になったことよりも内戦の方が色濃く残ってたかな。正直、一人で受けきれる勇気がなくて博物館は入れなかったんだけど。

でも、やっぱ街を歩くだけで感じるものがあった。

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旧市街。


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壁には銃弾の跡。


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紛争中、ジャーナリスト向けに唯一営業していたホテル。

実は博物館に行くか悩んでいた時、1つの動画を見つけた。それはその当時の状況をジャーナリストの方が命をかけて世に伝えているものだった。

スナイパー通りって。。。信じられる?何の罪もない一般市民が標的になって犠牲になって。怯えながらも生活のために外に出て。

本当にここであったことなの?って思ったけど、街を歩けばすぐにわかる。

「綺麗な建物」は建て直された証。

「古い建物」には銃弾の跡。
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そして有名な”ボスニアの赤いバラ”
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今ではだいぶ新しくなっててボスニアの赤いバラが残ってるのも多くはないみたいなんだけど、実際に目にするとね。。。この赤いバラは”ここで実際に人が亡くなっている証”なんだよ。

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何だか遠い昔な気がするけど、そんなことないんだよね。私たちが生まれた前後。

こんなことが起きてたんだ。。。

その頃日本はバブルが崩壊した頃。同じ時代に生きていたのに生まれた場所でこんなにも人生が違うだなんて。。。
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日本は本当に恵まれてる。海外に出れば出るほどそれを強く感じる。

今いる日本の方達にも知ってもらいたい。もっともっと大変な目にあっている人がいるということを。

人と人を比べるわけじゃないけど、やっぱり生まれるところは選べないものだから。

このボスニア内戦中に女性が兵士にレイプされ、生まれた子が推定2万人いるそう。孤児になった子も多くいる。

「見えない子供達」と称される彼ら。この事実を題材としたドキュメンタリーが2015年に制作されている。

映画『見えない子供の罠(An Invisible Child’s Trap)』

劇中では見えない子供の1人である、主人公が実の親に会うために奮闘する姿が描かれている。

あの銃撃戦の裏にこんな凶悪な事件が潜んでいることを私は知らなかった。事実、この記事を書いている際に映画の事を知ったくらい。

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「紛争」と一言で言っても色んな部分があるのだということを知った。そしてこれはどの紛争においても起こりえる事なんだと思った。

今、この瞬間にも世界で紛争は起きている。涙を流している人たちがいる。

自然災害ではない、明らかな人災。これを終わらせることができるのも人間。

1日でも早く、人々が笑顔で穏やかに暮らせる日が来る事を心から願う。

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とりあえず私自身が今できる事は、今ここで元気に生きている事に感謝する事を忘れない。そして生きて生かされている自分ができることは何かを考え続ける、です。

これを胸に旅を続けていきます。

長いblogにお付き合い頂き、ありがとうございました。

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