プーケットのオールドタウンへ歴史探訪単独行

2015.12.17. by yu

「嫁が日本帰ってて、バンコクで一週間滞在予定」
『Oh really…!? どうなのバンコク?』
「んーぼちぼちかなぁ。どっか行くノー?」
『Phuket! Beach resort!!(なんでこいつはずっとバンコクいるんだろ?)』

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バリ島の懐の深さが半端じゃないと実感。

写真のような超リゾート地で、最初にちょっと歴史の話。
なんでかって、この背景を知っているかで寺院の見え方が全然違うから。
※聞きながら調べながら簡素に書いたので、詳細違ってても勘弁してください!

———インドネシアの宗教の変遷——————
 
一番最初は5世紀頃、インド商人の渡来。
インドのグプタ文化が伝えられ、仏教・ヒンドゥー教が信仰されるように。

その後8世紀の中部ジャワに、
シャイレーンドラとマタラム王国という二つの国生まれた。
シャイレーンドラでは大乗仏教が信仰され、仏教寺院としてボロブドゥール寺院が、
マタラム王国ではヒンドゥー教が信仰されていてプランバナンが、
それぞれ同じジャワ島中部のほぼお同じ8世紀に建立。すごい。
この国同士は仲良かったのかな?
 
その後ジャワ島ではいろんな国が起こるけど、1292年頃から元軍(モンゴル)が侵攻。
(日本にも鎌倉時代に元寇ってので来てる)
と同時に内紛が生じ、当時の国王が殺害される。
殺害された後、元と結んだ王家の一族がマジャパヒト王国を立てて、
巧みな交渉(どんな交渉だろ?)で元軍を撤退させて独立を維持。
 
このマジャパヒト王国が、インドネシア最後のヒンドゥー教国。
タイのアユタヤ王朝だったり、ベトナムやカンボジア、琉球王朝とも交流あった。
世界って昔からローカルでグローバルだね。
 
マジャパヒト王国の末頃(16世紀)のジャワ島で、
西部にバンテン王国、東部にマタラム王国というイスラーム勢力が生まれる。
こうやってジャワ島がイスラーム化していった背景は、
東南アジア最初のイスラーム国家で港市国家として栄えていたマラッカ王国が、
(これより前にアチェ王国っていうのがスマトラ西部にあった。)
1511年にポルトガルによって征服されたことが発端。
 
マラッカ海峡を通るとポルトガルの関税が課せられることになったムスリム商人は、
それを避けてスマトラ島とジャワ島の間のスンダ海峡を通ろうとするようになって、
スンダ海峡に面したジャワ島西部がまずイスラーム化、バンテン王国が成立。
同時にジャワ島東部で米の輸出をするためムスリム商人が移住、
前述にもある元々あったマタラム王国がイスラーム化していった。
 
この2つのイスラム王国の影響で、マジャパヒト王国が衰退。
王国の廷臣、僧侶、工芸師たちがバリ島に逃れるようになる。
そして、彼らの影響によって、古典文学や影絵芝居、音楽や彫刻など、
ヒンドゥー・ジャワの影響を受けた文化が花開き、
高僧たちが各地に寺院を建立していった。
———————————————

ということで、大変長らくお待たせ致しました、
そんな背景で建立されたうちの一つ、ウルワツ寺院に行って来ました!
世界一周 インドネシア 絶景 バリ

バリ島のジンバランという地区の最西端にあるヒンドゥー教寺院。
寺院の高貴さと、その立地との兼ね合いでとんでもない迫力。
写真右の方に見えるところが本堂、崖の上全部敷地。
 
本堂側から眺めるとこんな感じ。
 
世界一周 インドネシア 絶景 バリ

この海、入りたいな〜!
サーフィンしたいな〜!と思ったあなた、お目が高い。

世界一周 インドネシア 絶景 バリ

この寺院の近くに絶好のポイントがありました。
※上記写真、拡大するとサーファーが見られます。
 
 
気分はTHE*PRESENT。

世界一周 インドネシア 絶景 バリ

こんな断崖絶壁カフェもあります。
もちろん僕らはお金がないので、いつも通りこんな安料理屋で。

世界一周 インドネシア 絶景 バリ

だいたい一人一食100円前後。
 
レンタルしたスクーターでジンバランエリアを走り回ったので、
彼にもお食事を、という事でインドネシアの一般的なガソリンスタンドへ。

世界一周 インドネシア 絶景 バリ

インドネシアでガソリンは、PETROLという。
“ウォッカ!ウォッカ!ははは!”と言いながら豪快に給油してくれました。
 

観光用コース以外を縦横無尽に歩き回れる遺跡

《ベンメリア》
アンコール・ワットの約40km東の森の中にある寺院。
世界遺産であるアンコール遺跡群のひとつ。
全貌が明らかになればアンコール・ワットを凌ぐといわれるほどの規模。
僕らはトゥクトゥクを4人でシェアして行ってきました。
4人で35USD+遺跡入場料が5USD、アンコールのチケットは不要。
トゥクトゥクでの所用時間は片道1.5~2時間ほど。

結論から完結に述べさせて頂きますが、ぜひ行ってください。

ここでは、行かれる時の注意事項をご説明させて頂きます。

まず、行かれる際には、サンダルではなく靴で行きましょう。
そして、この遺跡を最大限楽しむために最初に注目すべきは下記2点。
・紺色の服を来た現地警備員的な人たち
・苔の生えていない岩

このちょこんと座っている彼のような服装の方に注目

このちょこんと座っている彼のような服装の方に注目


紺色の彼らは遺跡を細部まで知り尽くしており、
観光用に作られたルートではないところを縦横無尽に駆け回る。
その獣道、遺跡が崩壊した岩の上をすいすいと歩くわけですが、ここで2点目。
そのルート上の岩には苔が生えずに砂がのっています。
このルート、サンダルでは険しい上に滑りやすく大変危険です。
後から調べたところ、毒蛇も生息中とのこと、やっぱり靴ですね。
この写真にある、木で人工的に作られたコースが一般ルート

この写真にある、木で人工的に作られたコースが観光用ルート

そうしてまわる事で何が起きるかと言いますと、
1586年にポルトガル人のアントニオ・ダ・マダレーナが、
1632年に日本人の森本右近太夫一房が、
1860年にフランス人のアンリ・ムーオが、
それぞれ体感したであろう、遺跡発見者の心持ちになれます。

パーティを組んで遺跡ダンジョンの中を進む

パーティを組んで遺跡ダンジョンの中を進む

他のアンコール遺跡群では、こんな自由に動き回れないのでおすすめです。
遺跡自体と自然のスケール感も、言うまでもなく壮大なものでした。

ラピュタの世界観の発想の源の1つと言われているところ

ラピュタの世界観の発想の源の1つと言われているところ

僕らも次に行ける機会があれば、靴を履いていきたいと思います。

今回の遺跡探索メンバー。楽しかったありがとう!

今回の遺跡探索メンバー。まさき、なり、楽しかったありがとう!

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約800~900年前の遺跡を訪ねて

言わずと知れた東南アジアの誇る世界遺産、アンコール遺跡群。
現在のカンボジア王国の元になるクメール王朝の首都の跡。

王の住処であり神の棲家でもある建築物。
そのそばにあるとても大きな王都・城下町の跡。
王朝の繁栄っぷりがうかがえる。
この遺跡、この時代にどうやってそんなに緻密に設計できたのかというくらい、
見る角度によって違う表情でいてどこからでも綺麗で壮大だし、
入り口から参道をゆっくり歩くとその時代を歩いてる気がしてくるし、
全体も詳細も本当に素晴らしいレベルの作り込み。

そんな技術を持っていたため500年ほど繁栄したこの王朝は、
タイの方のアユタヤ朝の侵略を受け、ついには王都を建設した場所を空け渡す。
じゃあその時に壊されてしまって今修復しているのか、と思えば、
1972年頃からポルポト率いるクメールルージュが、
内戦中に信仰を統一しようと、破壊してしまったのだそう。
この時に多くの奉納仏は首を撥ねられ砕かれた。
それだけでは事足らず、独裁が崩されてプノンペンを追放された後に、
アンコールワットに落ち延びてきて住処にし、更に砲台を置いたりと傷つけたそう。
元々は城だし、重要文化材だから攻撃しにくだろうと。
なにしてんの。

と色々カンボジアの歴史に思いを馳せながら、遺跡を見て回る。
もう、そんなちっぽけな争いとか全部許してますよ、という風な佇まい。

そんな中でも、僕らのお気に入り(2015.10.23時点)を3つご紹介。
写真や文章では実際の1/3も伝わらないと思うので、短くいきます。

■アンコールワット

アンコールワットを観光客の群がる定番の角度から撮影

アンコールワットを、観光客の群がる定番の角度から撮影


紹介されなくっても絶対行くわ、という話だと思うのですが、
実際に王に会いに行く気持ちで歩くと、
この建造物・建築デザインが何か訴えかけてくると思います。

朝日もとても綺麗です。

アンコールワット2015.10.22の朝日

アンコールワット2015.10.22の朝日

■バイヨン

バイヨンを南側から撮影

バイヨンを南側から撮影


アンコールトム、という王都の中央に位置する、
「宇宙の中心」と位置付けられているもの。

この記事のトップの画像もバイヨン。
すごい迫力、言葉が出なかったです。

あまりにも気を感じてゆっくり見すぎた結果、
この日チャーターしていたTuktukの運転手さんがこんな状態に。

自作改造Tuktukをやんちゃに乗り回すDriverソーファン26歳

自作改造Tuktukをやんちゃに乗り回すDriverソーファン26歳

■バプーオン

バプーオン正面から撮影

バプーオン正面から撮影


バイヨンの北、アンコールトムの中にあります。
バイヨンができる前はここが一番高かったそう。
バプーオン上から参道を見下ろす。王からの景色。

バプーオン上から参道(これがまたすごい)を見下ろす。王からの景色。


日の入り方と人の入り方の観点から、午前中をおすすめします。
遺跡を探訪している、という気持ちに大いになります。
植物たちのおかげでバプーオンが静かで日陰で気持ちよい、の絵

植物たちのおかげでバプーオンが静かで日陰で気持ちよい、の図

背面に回るとこんな景色。
清き心の持ち主には、写真の左の方に寝そべった仏様の顔が見えるはずです。

この壁に微調整を加えて寝大仏を浮き彫りにさせようと修復中

この壁に微調整を加えて寝大仏を浮き彫りにさせようと修復中

分量的にもバプーオン推しがにじみ出てしまっていると思いますが、
僕たち的なアンコール遺跡探訪手記でした。

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40年前にカンボジアで起きていたこと

1975-1979年に、カンボジアで起きた事。

ポルポトの独裁政権下、
国民800万人のうち300万人が粛清の名のもと亡くなった。
4人に1人。
ポルポトが自分の狂信的な世界を実現したいだけのために、
自分の故郷で普通に暮らしていた人たちが、ある日突然。
ほんの35-40年前の出来事。
カンボジアの大地の下には、
その時に粛清により亡くなり埋められた人がまだ沢山埋まってる。
今カンボジアで生きている40歳以上の方々は、間違いなくそれを体験してる。

考えられますか?

僕らの行ったプノンペンのキリングフィールドは、
来場者全員に、各国語で詳細な解説が聴ける機器が配られます。
街中からTuktukで往復10USDが相場。

これからの時代を生きるものとして、
見て知っておいた方が良いと思います。

《 Imagine/John Lennnon 》
Imagine there’s no countries
It isn’t hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope someday you’ll join us
And the world will be as one

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